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世の中で起こる おかし~なと思ったことを書いてみます。
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高御産巣日神(6)
 前回、高神社は、京都府綴喜郡井手町多賀天王山1 に鎮座地すると記しましたが、「天王」という地名の所には、短期間にせよ、天皇がおられた所には名づけられたのではないかと推理しています。

高御産巣日神は、一時期、高神社の祭神として記録がありますから、高神社のことを考えてみます。

  高神社のことを書いたブログは多くありません。参考になる資料を上げておきます。
①高神社
http://kamnavi.jp/yamasiro/takaide.htm

②山城(綴喜郡)の式内社/高神社
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/kyou-taka.html

③高神社
http://www.geocities.jp/engisiki/yamashiro/html/020705-01.html

④綴喜郡の式内社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B4%E5%96%9C%E9%83%A1

⑤天平三年(731)橘諸兄が現社地であろう高村の山方の下津磐根に遷座したとし、祭神 としての高御産日神、伊弉諾尊、素盞嗚尊を祀ったと記す。

⑥橘諸兄関係遺跡が存在
 http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage938.htm

⑦平山古墳出土の陶棺---ここの陶棺は立派です。
http://www.town.ide.kyoto.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/8/2-bunkazai-pic.pdf

⑧京都の椿井大塚山古墳 三角縁神獣鏡  高神社の近くに在ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%95%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
京都府木津川市山城町に所在する古墳。築造期は3世紀末で、山城地方最大の前方後円墳である。


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高御産巣日神(5)
 高御産巣日神(4)は如何でしたか。
学門的に、確定したわけではありませんが、高御産巣日神の別名が高木神と呼ばれていた理由が、高木は、当時は、2キロぐらい先、もっと先からでも、見えて、目印になっていただけではなくて、尊敬の対象になっていたのだろうと書きました。

 このような木は、どの村でもあったと思います。
 有名な高木としては奈良東大寺の二月堂のお水取りが行われる所に在りました。始めて父親に連れて行って貰った時(60年ほど前)は、有り、良弁さんの話を聞いた記憶があります。
 どのような形で、残っているか、インターネットで調べてください。
良弁杉由来  -- http://www5e.biglobe.ne.jp/freddy/watching65.htm

 高神社のことは、京都府の井手町多賀天王山の高神社しか調べていませんが、どうやら、「多賀」は、全国に、多賀の地名はあり、其の地には、多賀神社があり、イザナギとイザナミが祀られています。
 
  だからといって、高木神とイザナギとイザナミとは関係があるとは、断定出来ませんが、井手町の多賀には、天王山という地名が付いて居り、一番地です。

 番地の表記が何時から始まったか分りませんが、天王山の一番地は、トップにつけられたのではないでしょうか。
 「天王」と云う地名は、ヒルゼン高原だけて、確か4つあったように記憶します。
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高御産巣日神(4)
古事記では、高御産巣日神と天照大御神が、一緒に登場する場面が、何箇所かであります。
 その時に、高御産巣日神が先に書かれていたり、天照大御神が先に書かれていたりする場合があります。

 高御産巣日神(1)に於いて、詳しくその例を紹介しました。いつも、高御産巣日神が先に書かれてあるのでしたら、高御産巣日神の方が、天照大御神の方より、位が高いと思いたいのですか、二人の場合は、どちらが先とは限りません。
 
 もう一度、その時の例を記してみます。

 葦原中津国平定 する時、天菩比神の派遣を相談する場面を次の様に記します。
高御産巣日神と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。思金神(おもいかね)と八百万の神が相談して「天菩比命(あめのほひ)を大国主神の元に派遣するのが良い」という結論になった。高木神と天照大御神は天菩比命に大国主の元へ行くよう命じた。しかし、天菩比命は大国主の家来となり、三年たっても高天原に戻らなかった。

 なにか気が付かれた事はありませんか。

ここでは、高御産巣日神の代わりに、高木神の名が使われています。
多くの神社には大木であったり、高い木があります。 古いほどに幹は太くなり、背も高くなります。
 兵庫県淡路市多賀にあります「伊弉諾神社」には、樹齢900年、樹高 30mという夫婦大楠があります。

こちらは神社ではありませんが、これぐらい大きいですと実際には切って見ませんとどれぐらいの樹齢か分りません。

高さはそれほどでもありませんが、屋久島(やくしま)にある縄文杉(じょうもんすぎ)は、いろいろな説がありますが、樹齢(じゅれい)7,200年の日本一長生きともいわれる杉で、昭和41(1966)年に発見されました。
木の幹(みき)周りは16.4メートル、高さは25.3メートル
https://www.pref.kagoshima.jp/kids/nihonichi/index.html#jomon

このように高い木は、木の周りに、注連縄が飾られたり、その周りは、神域として、垣で囲われているのを見ます。すなわち、神の依り代と考えられることもあります。

高御産巣日神と天照大御神を眺めてください。

天照大御神は古事記に書かれている表記です。アマテラスオオミカミと読み習わされています。日本書紀では、「御」を取り除いて、天照大神と記しています。「御」などは付けたく無かったのだと思います。
 高御産巣日神は、高皇産霊尊と書き変えました。「御」は最高級の尊敬を表す文字ですが、日本書紀の編集者は、「御」を取るだけではなく、「神」や「命」依りも、上位をを安和をす、「尊」という言葉を作り、高皇産霊尊と書き変えました。

この事から、高御産巣日神と云う神は、高--産--巣--日--神からなる名前になります。巣の字は、高い木の上の巣を表し、産の字は、生まれるとか生産をする。日は太陽でしょうか。

天照大御神は、宇宙を照らす大神ではたりなくて、尊敬語の「御」をつけた事になります。

高御産巣日神と天照大御神は、どちらが、上位であるか 区別出来ない事が判ります。

高御産巣日神の内、大切なのは、「高」ですから、「高」と「神社」をキーワードにして検索しますと、
 高神社
京都府綴喜郡井手町多賀天王山1
http://kamnavi.jp/yamasiro/takaide.htm
由緒
  綴喜郡の式内社高神社(鍬靫)に比定される。創草については欽明天皇元年に綴喜郡兎手玉津岡に神霊が降臨し、そこに社祠を建てて祀っていたが、天平三年(731)橘諸兄が現社地であろう高村の山方の下津磐根に遷座したとし、祭神としての高御産日神、伊弉諾尊、素盞嗚尊を祀ったと記す。

なにが驚きかと云いますと、この神社一帯の地名が、「多賀」です。

こうなりますと、「高神社」をキーワードにして検索します。
 何が見付かるか楽しみです。
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高御産巣日神(3)
 (1)において、ウィキペディアに書かれた方は、ずっと、古事記の後に記されていることも考慮に入れて記事を書いて居られます。なのに、高御産巣日神はどのような人だったのかは書いて居られません。
 
太安万侶は、天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神は、天皇家と血筋は繋がっていませんが、重要な人なのですよと書き記しました。
 
 太安万侶は、どうやら天照大御神は、天皇家の先祖というような書き方をしています。
その天照大御神の子の天忍穂耳命と高御産巣日神の娘の萬幡豊秋津師比売命と結婚して生まれた子が、瓊瓊芸命だと書いてあります。
 
 所が、この部分では、おかしな書き方がしてあります。

此の御子は、高木神の女(ムスメ)、万幡豊秋津師比売(ヨロズハタトヨアキツシヒメノ)命に御合(ミアイ)して、生みませる子、天火明命(アメノホアカリノミコト)。次に日子番能邇邇芸命なり。是(ここ)を以ちて白したまひし隨に、日子番能邇邇芸命に詔科(ミコトオホ)せて、「此の豊葦原水穂国は、汝(イマシ)知らさむ国ぞと言依さし賜ふ。故、命の隨に天降るべし。」とのりたまひき。ここには、天忍穂耳命と万幡豊秋津師比売の間に、天火明命が生まれ次に、邇邇芸命が生まれたと書いてあります。

 この通りであれば、天火明命が、天孫を引継ぐ筈ですが、邇邇芸命は、まだ生まれたばかりなのに、後継者となり、赤ちゃんですが、産着にくるまれて、高天原から高千穂に降りて行く様子が、書かれています。
 
長男の天火明命のことはなにも書いてありません。

話題をかえて、高木神の女(ムスメ)、万幡豊秋津師比売は、古事記に書かれていますが、本当はこの様に長い名前では、便利が悪いですし、この様な名前は歴史書だから、必要があって付けられた名前だと思います。
 ということは、漢字には、それぞれ意味があって書かれた名前から、高木神の女はどういう娘か推察出来るはずです。
が、良く解かりません。即ち、太安万侶が名付けたか、どこかに書かれていたことになります。可能性としては、どこかの神社に書き残されていたのではないでしょうか。

天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神の三人の名前は、古事記では、最初に書かれていますが、日本書紀では、本文に当る所には、書かれていません。
 日本書紀の編集者の考えでは、このような神は居なかったことになります。 (書きたくなかったことになります)
 しかし、それでは、悪く思ったのか、外に、この部分に関連する本が6冊ありましたと記しています。
 第4刷目には、次の神が掲載されていますよと、天之御中主尊と高皇産霊尊と神皇産霊尊の三人の神の名前が記されています。

 日本書紀の編集者は、この4冊目の書物をどこで見付けて来たのでしょう。 古事記は、712年に完成していますから、7冊目の書物に、天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神の名前があっても不思議はない筈ですが、ありません。
 それだけではなくて、古事記に書いてあります神の部分が、「尊」と書きかえられています。この「尊」という神は、一番位の高い神につけられた名前であると、本文に説明が書かれています。

 このような現象は、古事記全般に亘ってあります。
 この様なことは、古事記を参考にして、日本書紀を書きませんとと不可能なことだと思われます。

古事記にかかれた萬幡豊秋津師比売命の名前は、日本書紀では、 栲幡千千姫命 と書かれています。
 この名前からどのような神であるか、考えることが可能でしょうか。

栲幡千千姫命の名前から、父親の高御産巣日神はどのような人であるか、推察出来るでしょうか。
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高御産巣日神(2)
ウッイキペディアに書いてあることを検証してみます。

 ウッイキペディアに書いてあることの一部を書きだします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93#.E8.A8.98.E8.BF.B0

 『古事記』によれば、天地開闢の時、最初にアメノミナカヌシが現れ、その次にカミムスビと共に高天原に出現したとされるのがタカミムスビという神である[1]。子にオモイカネ、タクハタチヂヒメがいる[1]。
 
 
この部分は、正しいのでしょう。しかし、天皇家と血筋は繋がっていませんと太安万侶は一番最初に記しました。
 それは、後ろに「別天神」と書いてあるのでわかります。 太安万侶は、天皇とのつながりを重要視して、古事記を書いています。

アマテラスの御子神・アメノオシホミミがタカミムスビの娘タクハタチヂヒメと結婚して生まれたのが天孫ニニギであるので、タカミムスビは天孫ニニギの外祖父に相当する[1]。

(この部分は、前後の関係から、正しいことになります)

アマツクニタマの子であるアメノワカヒコが、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、問責の使者・雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を射殺した[3]。そのためタカミムスビにその矢を射返されて死んだという[3]。

(この部分も、古事記に、直接かいてあるわけではありませんが、正しいことになります。)

しかし、『古事記』では即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、さらにアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説もある[4]。

(この部分は、外の人の説だと書いてありますが、文の流れからすると、この項を書いて居られる人が、半分ぐらい信じておられるため、自分の意見を入れられたと判断しています)
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まとめ
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