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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(54) 高御產巢日神と神產巢日神
前回は、その後、どんどん、伊邪那岐神、伊邪那美神の二人で、島などを生んで行く様が、古事記に書かれています。その神の名が、那岐神社の祭神に、書かれていたのは、稗田阿礼が、那岐神社に行って、いろいろの事を調べて来たのではないかと推理しました。

古事記の始めに戻りますと、
高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、
高天原にやってきたのは、次の三人です。

天之御中主神と高御產巢日神と神產巢日神。

神產巢日神は、那岐神社の祭神には見付かりません。
那岐神社の時と同じ様に、稗田阿礼は、神產巢日神を祀る神社を訪れたと仮定しますと、どれぐらい神社があるかを調べます。

 これは簡単そうで、大変でした。 そこで、玄松子氏のブログの中から、拝借することにしました。是が意外に大変な作業でした。

神產巢日神は、多くの別の名前を持って居まして、玄松子氏は、別の名で祀られている神社も、すべて、収録されていました。
 これらの神社を眺めていますと、神產巢日神を祀る神社は、厖大なものになります。

 高皇産霊尊や神皇産霊神は高御産巣日神と同じ神ですから、掲載されていましたが、これでは、太安万侶は、古事記に、高皇産霊尊の神も、加える事になりますが、古事記では、神產巢日神しか、表記されていませんから、省きました。

①比蘇天神社
愛知県岡崎市宮地町字北浦42
http://www.genbu.net/data/mikawa/hiso_title.htm

②草岡神社
滋賀県長浜市余呉町国安52  
神産巣日神
http://www.genbu.net/data/oumi/kusaoka_title.htm

③大石神社
青森県弘前市大森勝山
神産巣日神
http://www.genbu.net/data/tugaru/ooisi_title.htm

④吉備津彦神社
岡山県岡山市北区一宮1043
http://www.genbu.net/data/bizen/kibituhiko_title.htm
天御中主大神   神産巣日神

⑤長岡神社
福井県丹生郡越前町宇須尾27-1
http://www.genbu.net/data/etizen/nagaoka_title.htm

さて、この六つの社のうち、一つの神社に稗田阿礼が、訪れたとしますと、どの神社に成るでしょうか。
神産巣日神と同じ神で、表記の異なる神の名前は、次に有ります。 

この神の名前で、祀っている神社は、除きました。
http://www.sen2.net/contents/history/rekichi/33616417/%E7%A5%9E%E7%94%A3%E5%B7%A3%E6%97%A5%E7%A5%9E

 古事記と直接関係ありませんが、 玄松子氏は、上に書きました神社だけではなくて、 すべての神社は、ご自分で実際に行ったと書いておられます。

この方の書いておられる事は、大半において、正しいと思います。 
歴史は、覚えるものではなくて、このように、神產巢日神だけを祭る神社を実際に行きますと、歴史が勝手に見えてくると思います。

私が書きましたように、<玄松子>のお名前を入れて、大いに、役立たせて貰えばいいと思います。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(53) 伊邪那岐神と伊邪那岐命(4)
鳥取神社誌に次の神社があります。
那岐神社  郷社 八頭郡
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-960.html
 祭神を抜書しますと、次の様になります。

祭神 
國之常立神、豐雲野神、宇比地迩神、須比智迩神、角杙神、活杙神、意富斗能地神、大斗乃辨神、淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、伊邪那岐神、伊邪那美神、進雄命、宇賀魂命、大山祇命、保食神、天御中主神、素盞鳴尊、祖靈社

これは、現在の那岐神社の祭神です。
 従って、古事記が作られた712年頃は、存在していたかを随分時間を掛けて調べました。そして、実際に、訪れました。

判ったことは、712年に、那岐神社があったかどうかも、確かめる事は出来ませんでした。

那岐神社の考察
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-1224.html

那岐神社の祭神
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2004/11/post_9.html

仮に、稗田阿礼が、712年より前に、那岐神社を訪れた時に、この神社が、既に、存在していたとしますと、稗田阿礼が、この祭神のことを太安万侶に報告して、古事記に取り込んだ可能性はあります。
 古事記に書かれいする神の内、これほど見事に、一致する神社は見付かりません。

ただ、前に書きましたように、那岐神社の詳しい事は分っていません。
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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(52) 伊邪那岐神と伊邪那岐命(3)
 獨神成坐而、隱身也---独身だったのが良く無かったのでしょうか。
高天原から、去って行きましたと太安万侶は記しました。
 では、もう二度と現われなかったのかと云いますと、

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
 
①神產巢日神は、神產巢日命という名前で、登場します。
 大穴牟遅神が赤く焼けた大岩で、殺されそうになった時に、神產巢日命が
𧏛貝比売(きさがひひめ)」・「蛤貝比売(うむぎひめ/うむがひ-)に助けに行くように命じています。
出雲風土記に宇武賀比売命(ウムガイヒメ命)
http://nihonsinwa.com/page/2135.html

出雲国風土記(いずものくにふどき)は、出雲国の風土記。編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇によるが、天平5年(733年)2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたといわれている(異説あり[要追加記述])。「国引き神話」を始めとして出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されている。
 古事記は、712年の完成ですから、出雲国の風土記の方が、古事記を参照にしたことになると思われます。

太安万侶は、「神產巢日命」という言葉をどこからか見つけた事になります。
神產巢日神は、どこにあったのでしょうか。
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まとめ
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