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世の中で起こる おかし~なと思ったことを書いてみます。
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神籠石
おつぼ山神籠石 (佐賀県武雄市橘町小野原)
帯隈山神籠石 おぶくまやま(佐賀県佐賀市久保泉町,神埼市神埼町)
女山神籠石 ぞやま(福岡県山門郡瀬高町大草字女山) 
高良山神籠石 こうらさん(福岡県久留米市御井町高良山)
雷山神籠石 らいざん(福岡県前原市雷山)
鹿毛馬神籠石 かけのうま(福岡県嘉穂郡頴田町鹿毛馬)
御所ヶ谷神籠石 ごしょがたに(福岡県行橋市津積)
宮地岳山城 みやぢだけ(福岡県筑紫野市)
杷木神籠石 はき(福岡県朝倉市林田)      
石城山神籠石 いわきやま(山口県熊毛郡大和町石城)
大迴小迴山城 おおめぐりこめぐり(岡山県岡山市草ヶ部)
鬼ノ城 きの(岡山県総社市奥坂,黒尾)
永納山城 えいのうざん(愛媛県西条市河原津)     
讃岐城山城 さぬききやま(香川県坂出市西庄町 他)
播磨城山城 はりまきのやま(兵庫県龍野市揖西町中垣内,新宮町馬立)   
唐原神籠石 とうばる(福岡県築上郡大平村下唐原,土佐井)

関連記事
小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(11)と大津京(5)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04
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途中ヶ丘遺跡 丹後
参考資料 http://inoues.net/tango/tochugaoka.html 
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/shisei/shisei/keikaku/bunkazaimasterplan/documents/03.pdf

途中ヶ丘遺跡としてのまとまった資料は有りません。

①所在地は、峰山町新治・長岡の台地上にある。
②90,000平方メートルに及ぶ大遺跡。
③弥生時代前期中頃から後期にかけての環濠をめぐらせた集落跡と判明。長期間存在した遺跡です。
④環濠は集落を囲みV字形やU字形をしており、ムラの人口がふえるに伴い外側に堀り直されており、合計8本が見つかった。
⑤出土遺物は、各種の弥生土器、石鏃・石斧・石錘などの石器類、木器、ガラス製玉類、土製品(陶けん・紡錘車・人形・土錘など)、鉄斧、玉作り関係の資材など多種多様であった

弥生前期とは、何時の事か。BC220年前後辺りでしょうか。秦の始皇帝の時代?

弥生時代の区分
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/hyou.htm
 を参考に考えてください。

 この数値は、間違いない数値とされていますが、こうなりますと、高天原の存在以前から、途中ヶ丘遺跡が有ったことになり、私の歴史観は崩壊します。
資料を集めている最中ですが、現在の所、どう見ても、途中ヶ丘遺跡の住民は、陶けんという笛を吹いていた中国人だと思います。

 という事は、日本の神話以前から、丹後では、中国人が住んでいたと事になります。
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奈具岡遺跡 弥栄町
奈具岡遺跡 弥栄町
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/service/digitalmuseum/siteibunkazai/naguokaisekishutyudohin.html
所在地 弥栄町溝谷
地図 
http://watchizu.gsi.go.jp/oldmap25k.html?longitude=135.09500921886&latitude=35.660558544506

①弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見された。
②遺跡からは、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土した。
③生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉でした。
④ここでは、原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っている。
 水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかった。これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されている。
⑤遺跡は、地点、地形によって奈具岡遺跡、奈具遺跡、奈具谷遺跡と呼ばれ、墓では貼石墓、台状墓、周溝墓、さらに奈具岡北・南古墳群へと続く。
⑥建物遺構は重複しつつ95基検出されているが竪穴住居跡は20基で他の75基はテラス状建物跡と呼ぶものである。
⑦4㎏近い鉄資料が出土

その他の参考資料

奈具神社
http://inoues.net/tango/naguoka.html

奈具岡遺跡出土品 文化庁
http://www.weblio.jp/content/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%A5%88%E5%85%B7%E5%B2%A1%E9%81%BA%E8%B7%A1%E5%87%BA%E5%9C%9F%E5%93%81

始めの少しを転記します。後は、ご自分のコンピューターに保存してください。


京都府奈具岡遺跡から出土した弥生時代中期の玉作【たまつくり】関係資料である。遺跡は、京都府竹野郡弥栄町溝谷小字奈具岡に所在する。この地は、丹後半島を北流する竹野川によって形成された狭い盆地の東側、細かな尾根が複雑に入り組んだ丘陵地である。遺跡は、奈具谷と呼ばれる小谷の源頭部を取り巻く斜面および尾根上に広がっていた。
 調査は昭和五十六年から平成十年まで、この地域一帯で計画された国営農地開発事業に先立って断続的に実施され、弥生時代から古墳時代の遺構・遺物が発見された。本件は、これら調査のうち、尾根を挟んで展開した二つの地点(第四次=調査面積約四〇〇〇平方メートル、第七・八次調査=調査面積約二一〇〇平方メートル)で出土した玉作関係の資料である。検出された遺構には七四基の建物跡があり


いくつかの思い出
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/39tashiro.pdf
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奈具岡遺跡 弥栄町
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/service/digitalmuseum/siteibunkazai/naguokaisekishutyudohin.html
所在地 弥栄町溝谷
地図 
http://watchizu.gsi.go.jp/oldmap25k.html?longitude=135.09500921886&latitude=35.660558544506
①弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見された。
②遺跡からは、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土した。
③生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉でした。
④ここでは、原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っている。
 水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかった。これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されている。
⑤遺跡は、地点、地形によって奈具岡遺跡、奈具遺跡、奈具谷遺跡と呼ばれ、墓では貼石墓、台状墓、周溝墓、さらに奈具岡北・南古墳群へと続く。
⑥建物遺構は重複しつつ95基検出されているが竪穴住居跡は20基で他の75基はテラス状建物跡と呼ぶものである。
⑦4㎏近い鉄資料が出土


奈具神社
http://inoues.net/tango/naguoka.html

奈具岡遺跡出土品 文化庁
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扇谷遺跡 峰山町
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/service/digitalmuseum/siteibunkazai/ougidaniiseki.html
①扇谷遺跡は峰山町字杉谷・丹波・荒山の境に所在する。
②今から約2,100年前の弥生時代の高地性集落跡出土。
③扇谷遺跡の最大の特徴である2の環濠(かんごう)は馬蹄形(ばていけい)に巡らされている。
④内堀の延長は850m、両濠も幅約4~6m、深さ約2~4m。
⑤この遺跡で見つかった遺物は大量の弥生土器の他、中国源流の「陶けん」や未製品玉作り資材、鉄斧(てっぷ)、鉄滓(てっさい)、ガラス塊など。
中国・朝鮮半島との交易を行い自らも物を作り出していた集団が存在したものと考えられている。
弥生前期末から中期初頭の比較的短期間の造営であり、この時期この地域に武力を伴う緊張関係があった証明と見られる。 
⑧ 弥栄町溝谷の奈具岡遺跡(なぐおかいせき)では、弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見された。
⑨遺跡からは、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土した。
生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉でした。ここでは、原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っている。
 水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかった。これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されている。


以下コメント 青色と赤色の部分は、間違っているのではないかと思っています。ずばり、中国人が、此処に住んでいたと考える方が、自然だと思います。
一番大きな理由は、立派過ぎる環濠です。
次は、「陶けん」です。http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-1026.html

   H241205 文責 蛍火
追加 H250310 
 http://home.hiroshima-u.ac.jp/kouko/book/noji-kaken/chap_01.pdf 

京都府京丹後市扇谷遺跡出土鉄器(図1.16;92、図版19;1)
 扇谷遺跡は公共施設や道路建設が契機となり、発掘調査が行なわれた(田中編1984)。弥生
時代前期の環濠集落として著名であるが、環濠内(周濠No.10-1, 第Ⅲ層)より、畿内第Ⅰ ・Ⅱ様式の土器とともに厚い板状の鉄器(92、図版19;1)が出土した。全長5.0 ㎝、幅3.1 ㎝となる。銹膨れが進行して表面のみが皮状に浮き上がり、内部に空隙がみとめられる。鍛造品の銹化現象に類似するようだが、定性分析による炭素量3.02%、および内部の「鋳単
ママ
」(鋳造鬆)
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