世の中で起こる おかし~なと思ったことを書いてみます。
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額田王と大海人皇子のラブロマン?
1300年ほど前の世の中の話です。

次の歌は万葉集の1-20と1-21に載っているものです。
天皇遊猟蒲生野時額田王作歌   
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
皇太子答御歌           
紫草能 爾保敝類妹乎 爾苦久有者 人嬬故爾 吾戀目八方

 他の方が、読み解かれた歌を次に書きます。
20 あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る 
額田王
21 むらさきのにほえる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾恋ひめやも   
皇太子(大海人皇子)
額田王は大海人皇子と結婚して、十市皇女が生まれたことは確かなのでしょうね。

1-21では、「むらさきのにほえる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾恋ひめやも」と詠んでいますから、この時点では、額田王は大海人皇子にとっては人妻であったことになります。

誰の妻であったかは、「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る 」にある野守が、天智天皇であると書かれたものもありますが、これは無理のよう思います。
壬申の乱の原因の一つに、大海人皇子と天智天皇との間に、額田王があったように書いている人も居られます。
 私は天智天皇が、死んだ後のことを大海人皇子に託したと考えています。吉野へ大海人皇子が行ったことも、自分の子供と戦わすことになりますが、すべて計算の上だったと考えています。
それ故に、大海人皇子と天智天皇が額田王を取り合うようなことはなかったと推察します。
この二つの歌は、21の歌に対して、21で返事をしたことになっていますが、関係がないのではないでしょうか?

6月28日のコメントのように、「もう少し調べてから書いたら」と云われるかもしれませんが、調べる気が有りません。
ご存知でしたら、教えてください。
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まとめ
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