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中性子爆弾と三人の医師
私のホームページに、日航機123便墜落は、中性子爆弾が使われたとコメントされました。この記事のためでしょう。アクセス数は一気に、50,60となりましたが、数日でおわりました。インターネットで、中性子爆弾という言葉をキーボードにして検索する人はおられないからだと思います。私は、いろいろのことを考慮すれば、中性子爆弾の使用は、可能性として大いにあるように思います。ひょんなことで、20年前の事件を思い出すことになりました。
 日航機123便墜落は、事故だと思って、しかも、これは政府によってほ合う同規制が行われたと考えて、新聞記事の分析をして一年を費やし、危険を感じたのでやめにしました。
 どうして、一年も頑張ったかは、理由は書きたくありません。かきますと、影響を受ける方がおられるからです。

 中性子爆弾が使用されたとなりますと、世界ではじめて、原子爆弾を使われた国であり、初めて中性子爆弾が使われた国ということになります。原子爆弾が使われた後は、100年は広島も長崎も住むことはできないと言われましたが、両都市とも、大いに繁栄をしています。
 本当に、中性子爆弾が存在するとしますと、コメントされた方は、中性子爆弾の被害が、益々、強まっていると言われています。となりますと、群馬県と長野県の県境にある御巣鷹山付近は、ほとんどの人が死亡することになります。(これは、私の理解の仕方が間違っているかもしれません)

 どれぐらいの規模で、進行しているのか、それは事実であるか調査する必要があります。

どうして、このようなことを書くのかと言いますと、『墜落遺体』という本があります。著者は飯塚 訓 という方です。略歴を書きます。1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部卒業。1960年、群馬県警察官として採用され,以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長などを歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年退官。

この本の161ページに、「深い人間愛をみた」のタイトルの中で、三人の医師が命をかけて身元確認作業を行ったことを書いています。
①警察医会理事の太田武史医師。
 太田氏はC型肝炎を患っており、遺体搬入の初日から、夕方とか深夜に「疲れるよ」と言って点滴を打っていた。昭和61年の春、県の医師会長に就任、その4ヶ月後の8月に死亡。52歳だった。
②渋川市内で歯科医院開業。星野茂樹医師。肝硬変が進んでいた。最近、入退院を繰り返していた。星野氏は8月17日の1日だけ、検視作業に携わる。「星野先生は時々、朦朧としているようだった。いっていることがちぐはぐなこともあった」と石北とい人の話が、書かれています。星野氏は、翌年、昭和61年2月7日に肝臓がんで死亡されています。
③鬼石町で歯科医院開業。羽鳥営六郎(当時、58歳) この医師も体調があまり良くなかった。8月14日、子息の営一氏も歯科医(31歳)で検視作業に出られた。帰宅は翌日の午前3時、羽鳥営六郎氏は、検視作業には出られなかったが、子息の患者さんの分まで診療することになり、14日は、午前9時から午後6時30分まで、休みなく治療をされていた。数時間後、亡くなられています。心筋梗塞でした。
著者は、「この三人の医師は、日航機事故の検視、確認作業中に死亡したわけではない。それは確かである」と書いておられます。  
 著者は、日航機事故に対して、医師という仕事を転職とした強い職業意識で参加され命を縮められた三人の責任感を讃えておられます。
 
事故発生から検視業務が終了した1985年12月24日までに、延べ135日間で、医師、看護婦は2981人(延べ)が出動しています。
医師--1087人、歯科医師—1217人、看護婦587人と記しておられます。
政府は、この方等の追跡調査は、すべきだと思います。

もっとも、出動回数が多かったと思われる飯塚 訓氏はどうされているのでしょう?
助けられた4人の方も同様です。

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中性子爆弾のことは、コメントに書かれています
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まとめ
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