FC2ブログ
世の中で起こる おかし~なと思ったことを書いてみます。
page top
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
No18 今城塚古墳は誰のもの(13) 埴輪・鰹木(2)
日本書紀にも古事記にも掲載されていない、倭の五王という人物の存在が知られています。5世紀に、南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」などに冊封された倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武をいいます。
 この5人は、自分たちが倭の国王だと名乗ったのでしょう。

これほど、重要なことが、どうして、日本書紀と古事記に書かれていないのでしょう。
書かれてあるのも、書かれていないのも、正しいとしますと、この五王は、当時、天皇以上に権力があったのでしょう。
 天皇の朝廷と河内幕府があったようなものです。

『古事記』は天皇の没年を次のように記します。
十五代応神、甲午(394年)
十六代仁徳、丁卯(427年)
十七代履中、壬申(432年)
十八代反正、丁丑(437年)
十九代允恭、甲午(454年)
二十一代雄略、己巳(489年)
二十六代継体、丁未(527年)

 熊本の江田・船山から出土した、鉄剣の主も「志幾のワカタケル」に仕えていました。武蔵の鉄剣の主も「志幾のワカタケル」に仕えていました。
 雄略天皇に仕えていたのではなく、志幾の大縣主に仕えていたのではないでしょうか? 
志幾の大縣主は、権力が大きくなり、五王の讃、珍、済、興、武の内の「武」を名乗るようになったのではないでしょうか? 

次の古墳は、全部前方後円墓で、墳長が全て、日本一を争う長さです。 

倭の五王も、巨大な前方後円墓を造った可能性は大きいです。
応神 恵我藻伏崗陵 420m 誉田御廟山古墳
大阪府羽曳野市誉田

仁徳 百舌鳥耳原中陵 486m 大仙陵古墳
堺市堺区大仙町

履中 百舌鳥耳原南陵 360m 石津丘(ミサンザイ)古墳
堺市西区石津ヶ丘

反正 百舌鳥耳原北陵 148m 田出井山古墳
堺市堺区北三国ヶ丘町

允恭 恵我長野北陵 227m前方後円 国府市ノ山古墳
大阪府藤井寺市国府


仁徳・履中・反正天皇の御陵の名前には、「耳原」という名前がついています。
関係あるかどうか分かりませんが、継体天皇の御陵は、大阪府茨木市に流れる安威川の東にあります。
藤原鎌足の墓ではないかと言われている阿武山古墳は、継体天皇の御陵の北の山の上にあります。ここから、南西に700mほど下った所に、亀岡市から流れてきた安威川が流れています。その左岸の山間に、桑原遺跡http://www2.odn.ne.jp/kofun/kuwanohara.htm
があります。
 この遺跡は、7世紀のものとされていますが、八角墳や陶棺が2基出土したり、一帯は、6世紀前半に安閑天皇が屯倉(みやけ)(天皇の直轄地)を置いたとされる重要な場所。安閑天皇が三嶋に行幸された時のことが、日本書紀に記されています。
この桑原の南に、安威、耳原の地名が並んでいますから、仁徳・履中・反正天皇の御陵の耳原と何らかの関係があるかも知れません。
安閑天皇は継体天皇の次の天皇ですから、継体天皇の御陵は、桑原、安威、耳原に近いことになります。
継体天皇のお墓は、宮内庁は同陵を大阪府茨木市太田三丁目の太田茶臼山古墳(前方後円墳・全長226m)に比定しています。が、古事記に「御陵は三島の藍の御陵なり」と書いていますから、「継体天皇三嶋藍野陵」の表示がされています。一重の濠をもつ大きな前方後円墳です。規模は、全長226m、前方部幅147m。

スポンサーサイト
© おかしな世の中. all rights reserved.
まとめ
Page top
FC2 BLOG
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。