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珠城山古墳群 奈良・穴師
地図 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=343247&l=1355053
都市地図
http://map.livedoor.com/map/?zoom=7&lat=34.5445277777778&COL=1&P=ic2E135.51.9.2N34.32.40.3&OPT=e0000011&x=300&SZ=740%2C450&y=288&ZM=10&lng=135.852555555556&KN=13基の前方後円墳で構成された古墳時代後期の古墳群。
東から
1号墳は全長約50m、後円部径約24m。
後円部に玄室長約3.4mの片袖式横穴式石室が開口している。
奥壁—8~9段。
側壁6~7段。
玄門部付近で1.45m、高さ1.9m、羨道幅 0.95m、右片袖式の石室。
石室内には組合式箱形石棺が安置されていた。
現在、橿原考古学研究所付属博物館の庭に展示されている。→写真
出土物
挂甲、三葉環頭大刀、剣菱形杏葉をはじめとする金銅製の馬具、鉄鋏、金銅製勾玉やガラス玉などの装飾品。ミニミュア甑(コシキ)



2号墳は群中最大の前方後円墳で、全長約85m前後、後円部径約45m。後円部が東側にある。
埋葬施設は不明である。埴輪もない。

3号墳は全長約50m、後円部径約24mで、前方部、後円部2ヶ所に横穴式石室が
存在したが、前方部先端を残して消滅してしまった。
 後円部の石室は全長9.76mで、玄室長さ 4.66m、幅2.14m、高さ3.1m、羨道幅は1.1mの両袖式の石室である。調査の時には,天井石が残っていなかった。

出土物
金属製の馬具類、鉄刀、巫女形埴輪、捩り環頭大刀。
金銅製----双鳳凰文心葉形杏葉、http://www.narahaku.go.jp/collection/d-728-5-1.html
忍冬唐草文心葉形鏡板(透かし彫り) 
http://www.narahaku.go.jp/collection/d-728-6-1.html

考えたこと---
① 1号墳と3号墳は、軸は同じ方向に作られている。後円部が東側にある。
 また、出土物もよく似ている。
 これらの事から、同じ、中国の出身者と思われます。
②2号墳は、出土敷設もないし、1号墳と3号墳よりも大きいので、この古墳の間に、割り込む形で作られたのではないでしょうか。
 2号墳が、先に作られて、その動きを封じるように、両側から挟むように作られたのかも知れません。
③ ただ、そうであれば、3号墳は、「調査の時には,天井石が残っていなかった」は、自然に無くなったとは考えにくいので、やはり、壊されたと考えたくなります。

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まとめ
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