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世の中で起こる おかし~なと思ったことを書いてみます。
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和多理神社  村社 八頭郡
鎮座地 八頭郡大御門村大字殿字字主
地図

現在地 鳥取県八頭郡八頭町郡家殿字地主500

祭神 左留陀比古神
由緒 延喜式所載の小社なり、因幡誌に「和多理の神社一座、延喜式神名帳所載、八上郡和多理神社是也、(八上八束旧為一郡) 社伝曰、祭猿田彦 神功皇后 筑前国 大渡島遷神主于此、因称 和多理神 云々 土俗今大多羅大明神と呼ぶもの大和多理」の誤ならんか、和漢三才図会曰、和多理神在 八上郡 社領三十石、祭神猿田彦命、景行天皇朝祭之云々、按に景行天皇の時始て筑前国に斎て神功皇后の御世当国に遷座なるにや、時代少し異なりと雖も、今に至て凡そ二千年、其旧趾紛乱なし崇むべし、古社は天正の兵火に燔滅して神宝社記等皆灰燼となる神木松樹なり園一丈八尺余長凡十四丈枝焼爛す、其此の余煙の跡と云うへり、二俣竹近年枯てなし、木石あり和多理の長寿石と号す、(天明年中此石下に神鏡掘出す? 五寸厚?分裏鶴亀模様あり今神前に納む)と見え、又社伝に大同二年九月和多理の山(一に越山といふ)より現地に遷座せられ、松樹及二股の竹各一株長寿石此他種々の神宝を遷し奉りと、降りて後醍醐天皇隠岐国より還幸せらるゝや、名和長年供奉し当所に御駐輦遊ばさる、即ち西の国より潜幸し給ひし意を以て西御門と称す、名和長年の居住せし口平木村を爾来殿村とは称するなり、当時の神主大川左近大輔重宗勅を奉じて朝敵降伏の祈願なし、領主長年亦社領拾町二十五歩を寄進せりといふ、天正八年七月羽柴秀吉当国入攻に際し、山名豊国と此地に会戦し、社殿其他悉く兵燹に罹り社領亦没収せらる、次いで党郡若桜城主山崎左馬允吉勝小社を修理す、尚元弘帝隠岐の国より御還幸の際西御門村の山中瀧山圓入寺に行在せられしが、当時当社神主大川重宗をして諾卌二神を勧請して勅願せしめられし際の棟札当社に現存せり、文に「正慶二年五月二十五日尊治皇依勅願」と見ゆ、以て当社と元弘帝との縁由浅からざりしを窺ふに足るべし、実歴三年十月十九日社殿を造営す、現社殿是なり、明治四十年四月二十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正十年御御門村大字殿治大谷鎮座無格社大谷瀧神社 (祭神 速秋津姫命) 同村大字大門字平木鎮座無格社天満宮(祭神 菅原道真) 同村大字殿字芦ヶ谷鎮座無格社芦ヶ谷神社(祭神 須佐之男命) 同村大字殿字越山鎮座無格社越山神社(祭神 軻遇突知命)  同村大字大門字於庵鎮座無格社西山神社(祭神 須佐之男命)の五神を当社境内に移転合祀し、殿神社と称す、尚境内なる祖霊社には当社神主大川氏の祖なる千日民部を祀る、延喜五年三月十九日の創立なりと伝ふ。


境内神社 殿神社 祭神 速秋津姫命、菅原道真、須佐之男命、軻遇突知命
祖霊社  祭神 千日民部

例祭日 10月10日
建造物 本殿、幣殿、拝殿
境内坪数 368坪
氏子戸数 94戸
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